歴史
かまぼこの発祥
蒲鉾の発祥については諸説さまざまです。文献として残っているものとしては、平安時代の『類聚雑要抄』(室町時代中期写)という巻物に、「永久三年 (1115年)七月二十一日戌子、関白右大臣東三條へ移御のとき」の祝宴の膳に、ちくわ型のかまぼこの図が載っており、これが最も古い確実な記録とされています。これにちなんで、11月15日を「かまぼこの日」と定めました。かまぼこの原形自体は、それ以前から日本にもあったものと思われますが、上記の文献以前のものは残っていません。もともとは東南アジア方面から伝わってきたものと考えられています。
※亀足とは串料理で手を汚さないための紙製のかざり。
名称のおこり
かまぼこという名はどうして生まれたのでしょうか。古く室町時代の古文書『宗五大双紙』(1528年)に、「かまぼこはなまず本也。蒲の穂を似せるもの也。」とあり、原料はナマズで、形相がよくないのですりつぶし、これを竹に巻き付け「ガマの穂」に似せてつくりました。「ガマの穂」は「鉾」に似ているので、この現在でいう「ちくわ」を、当時は「蒲鉾」と呼んでいたようです。ちなみに、ガマ(蒲)の穂に似ているので『かばほこ/蒲穂子』と呼び、後に訛って「蒲鉾」になったという説もあります。
■ガマ (ガマ属)がま科/ Typha latifolia L.
ヨーロッパ・北米・日本・アジアに広く分布。湿地帯に多く自生する大型の多年草。薬用、観賞用に栽培される。
板付かまぼこの起源
いつ頃から板に付けるようになったかは正確にはわかっていませんが、『摂戦実録大全、巻一』(1752年)に秀頼公大坂へ御帰城の時、伏見で梅春という都の料理人が、かまぼこを造って振舞ったという話の中で「板に付てあぶる」という文がありますので、少なくとも安土桃山時代には板付けかまぼこがあったようです。さらにさかのぼって、室町時代中期の写本『食物服用之巻』(1504年写)には「かまぼこは右にてとりあげ、(中略)板の置くやうに口伝あり。」とあるから、板付きかまぼこの発祥は室町時代中期前ということになりそうです。その後、蒸す製法が登場し、守貞漫稿、後集巻一(1837〜53)によれば「三都とも杉板に魚肉を推し蒸す。京都では蒸したままを白板という。多くは蒸して後、焼いて売る。江戸では焼いて売ることなく、皆蒸したもののみを売る」とあり、このころすでに、江戸では蒸し板、京阪では焼き板がスタンダードであったと考えられています。